ショーン・ホワイト、長い間、世界のスノーボードシーンを牽引してくれてありがとう!!お疲れ様でした!!

ショーンのことについて書きたいと思います。2000年2月、八方尾根スキー場で開催されたBurtonニッポンオープン。史上初のナイターファイナルでライオ(田原勝也)が優勝しました。この時、表彰台に立った時は夜中の12時を回っていて、体が凍えていたことを記憶しています。吹雪の中でのファイナル。ナイター照明が届かないところまで飛ぶライダーの写真を撮影するのに苦労しました。この頃はまだデジタルカメラではなく、ポジフィルムを使っていたので、現像して出来上がってくるまでドキドキものでした。それを考えると、今のデジタル機材環境は恵まれていますね。

で、まだ子供だったショーンは、お母さんに付き添われて世界の大会を参戦していました。以前からショーンは知ってはいましたが、人が多くて自分が自由に動ける状態ではありませんでしたが、公開練習の時にわざわざ自分の目の前で、かっこいいトゥイークを決めてくれました。この時思いました「こいつはすごくなる!!」と。なぜか?それは、ストロボの光が届く範囲というのは決まっていて、カメラから被写体が離れた場合、光が届かなくなることを、ショーンは直感的に悟っていたのではないかということ。

大会が終わり、すぐに東京に戻ってこの写真をプリントして、帰国前にショーンに渡しました。そして、2002年、ショーンが優勝したTOYOTA BIG AIRで久しぶりに再会した時、練習中にショーンとお母さんが自分のところにやってきて、「ニッポンオープンの時の写真、家に飾ってあるよ。かっこいい写真ありがとう!!」と言われた時に、「カメラマンをやっていて良かったなー」と本当に思いました。今、ショーンの家に飾ってあるかどうかわかりませんが、この原版のポジフィルムはもう手元にはありません。あるのは、プリントアウトしてショーンに直筆のサインをしてもらったこの一枚だけです。世界にたった一枚のこの写真、大切に保管します。

「ショーン、長い間、世界のスノーボードシーンを引っ張ってくれて、ありがとう!そして多くの感動をありがとう!」。また、日本のゲレンデで会いましょう!!

北京オリンピック写真:写真:東スポWebより

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