Memory photograph-18: Craig Kelly/クレイグ・ケリー

2003年1月21日(火)カナダのブリティッシュ・コロンビア州にあるレベルストークエリアで雪崩に巻き込まれ、尊い命を奪われてしまったクレイグ・ケリーだ。

クレイグ・ケリーが活躍していた90年前後というのは、どんな時代だったのか? 大会にはスーパーGからデュアルスラローム、ハーフパイプまであり、その種目のほとんどにプロたちがエントリーしていた。今のようにアルペンならアルペン、パイプならパイプと、参加するカテゴリーが分かれていたわけでなく、スノーボーダーならどんなスタイルもこなす、という時代だったのである。つまり、フリースタイルで有名なクレイグだったが、ジャイアント・スラロームにも参加して、いい成績を残していた。あの元祖ハードコア路線のジェフ・ブラッシーもピチピチのダウンヒルスーツを着てアルペン種目に参加していたのである。

クレイグ・ケリーというとシグネチャー・ボードのはしりである。スノーボードを愛する読者のみなさんは、クレイグの存在を知っている人も多いだろう。だが、クレイグが元々はバートンのライダーではなくシムスのライダーであることを知っている人は少ないのでは? 

そう、確かあれは88年の頃、当時シムスから莫大な移籍金でバートンにハンティングされたのである。契約問題でゴチャゴチャしてしまって、バートンのブラックソール、つまりどこのブランドかわからないボードに乗っていたのはちょっとしたニュースになったものだ。そして90年頃バートンからケリー・モデルが発売された。このボードは当時いちばんの売れ行きを記録した。

そもそも、なぜシグネシャー・ボードを出せるほどクレイグが有名だったかというと、当時大会やメディアで他のプロライダーの誰よりも活躍していたから。今でこそ、多くのプロライダーたちがしのぎを削って活躍し、人気のあるライダーは分散されるが、90年初期においてはクレイグが圧倒的な人気、実力を誇った。読者の人気ランキングでは常にダントツで1位である。歴史あるUSオープンやマウント・ベーカーで行なわれていたバンクド・スラロームという大会では何度も優勝している。あのテリエ・ハーコンセンにさえ、大会では一度も負けていないのである。もちろんテリエはまだ若かったのだが……。

そして、クレイグのコンペシーンからの引退はテリエの影響力が大きいように思う。当時クレイグは「大会に出ることに疲れた。スノーボードは争うものではない」という名セリフで大会からの引退を発表したのだが、実際のところテリエとあのまま争っていたら間違いなく大会では勝てなくなっただろうと思う。クレイグは負ける前に大会から退くことで、コンペシーンから身を引いた後もカリスマ化していったように思うのである。

クレイグのいちばんのすごさは、そのフリーライディングの美しさにある。まったく無駄のない動きは当時のマスコミから「バイディングを感じさせないすべり」と形容されたものである。つまり、まるでサーフィンのように常にいい位置に乗っているからボードと体が一体化し、バインディングの存在を感じさせないのだ。大会に出なくなった後も、映像や写真などでその美しいすべりを惜しみなく披露した。そのすべりの美しさは芸術品で、今となっては幻のようだ。

最近ではガツーンとチョッカリ、そこからキッカーでドでかいエアをドーンというスタイルやちょこまかしたジブが主流だが、クレイグはエアもうまかったけど、すべり自体が美しかったのである。今日、あまりすべりの美しさを重視しない傾向で、エアやジブばかりに目が行きがちだが、本来スノーボードの楽しさはフリーライディングにあり、ターンも大切な楽しさの要素である。恐れ多くもクレイグのすべりを代弁すると、「スノーボードはエアだけでなく、ターンも含めてすべての要素を楽しむものである。様々なスタイルを楽しむことにより永遠のスノーボーダーになれる」ということか?

(写真注釈)180cmもあるバートンのM8という板で、ソフトブーツで乗るクレイグ。当時すでにアルペンはハードブーツが主流な中でこんなにもの長い板をソフトで操るのはまさに神業だった。この両ヒザのくっつきスタイルもクレイグが主流にしたもので、当時はエアでさえ両ヒザくっつきが主流だった。

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