Memory photograph-02(思い出の1枚)/X-Trail Jam「がんばろう新潟」

2004年12月11日/ X-Trail Jam in Tokyo Dome

 

2004年10月23日、突然、新潟県中越地域を襲った新潟県中越大震災がありました。自分は新潟の出身ということもあり、「何か被災地を元気づけることはできないか?」と考えていました。その時偶然目に入ったのが、アルビレックス新潟で被災地支援のために販売していた「がんばろう新潟」のエンブレム。『よし、エンブレムと同じデザインで、「がんばろう新潟」のステッカー作って、X-Trail Jamの出場選手に貼ってもらおう』と考え、当時のJWSC(全日本ウインタースポーツ専門学校)の副校長に、急遽、作ってもらいしました。10日の公開練習日にステッカーはなんとか間に合い、選手控え室にこっそり忍び込んで、「どこでもいいから貼ってくれ!そしてテレビカメラが来たらアピールしてくれ」と、なかば半強制的にライダーにお願いしました。そして11日、けっこうな数のライダーがボードやヘルメットにステッカーを貼り、本番に臨んでくれていました。ご覧のように、タカト(谷口尊人)が、テレビカメラの前で、ステッカーをアピールしてくれ、このシーンを見た時には、思わず目頭が熱くなってしまいました。くしくも、この時のクォーターパイプの出場選手の中に、JWSCの卒業生の関 貴英プロがいました。そして、新潟からかけつけたJWSCの学生達の大応援団の声援を受け、見事、日本人予選を3位で通過してファイナルに進出し、地元新潟を盛り上げていました。この頃のスノーボーダーは世間様からは白い目で見られていましたが、しかし本当は、みんな熱い心を持ったいい奴ばかりなのです(今もそうですが)。

今、日本では、このようなスノースポーツの世界でこのようなビッグイベントはありませんが、もしあったなら、「能登半島地震でも応援できたのに」と思う今日この頃。

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