1981年(昭和56年)、第7回SIAフェスティバルが志賀高原サンバレーで開催されました(この年に、社団法人日本職業スキー教師協会/SIA設立。現在は名称が公益社団法人日本プロスキー教師協会)。当時は、自分は志賀高原にカメラマンの修行のためこもっていましたが、なぜだかこの半人前の自分に、とあるスキー雑誌(確か山と渓谷社のSkier)から、SIAフェスティバルの撮影の依頼が飛び込んできました(カメラマンがいなかったか、重要なコンテンツではなかったか、まあ、そんなところだと思いますが)。
撮影の内容は、参加していたフランスデモチームの技術モノの撮影(いわゆる、モータードライブで連蔵写真の撮影。今でいうと、シークエンス)でした。それはそれで、撮影はうまく行きました。というか、被写体がうまいので、露出とピントさえ失敗しなければ、問題はありませんでした。ただ、このピント合わせが最大の難敵。当時はカメラの機能に、オートフォーカスなんてオシャレなテクノロジーはなく、手動でのピント合わせをしなくてはなりません。しかも、望遠レンズを使用するので、速い被写体に動きを追いながら手でピントを合わせる撮影(自分達は、追いピン、と呼んでいました)は、本当に大変でした。
それはそれとして、この写真はフェスティバルの最終日に撮影した、SIAの教師とフランスデモチームとによる、記念の集団滑走の写真です。デモパンというか細いスキーパンツと、細いスキーが、時代を物語っていますね。「あー、この頃に戻りたい!」と思う今日この頃です。