北京オリンピックHPナショナルチームコーチ、村上大輔

平野歩夢の金メダルで幕を閉じたハーフパイプ競技。スタート地点で選手を送り出すふたりのコーチの存在が、テレビに映し出されていた。赤いウエアの村上大輔と白いウエアの青野令の二人は、元オリンピアン(HP競技)。

今回は、村上大輔のことを書きたいと思う。2002年は、4年に1度しか開催されない冬季オリンピックの年だった。開催地はアメリカのソルトレイク。そして日本の日付で2月12日の早朝に、男子ハーフパイプ競技が開催された。日本からは、中井孝治(今回はNHKのスタジオ解説)と同じ高校生コンビの村上大輔(以下ダイキ)、そして宮脇健太郎の3人が、世界のトップに果敢に挑んだ。

宮脇は、「フロントであの高さは世界で初めて」と言われるエアを繰り出し、ダイキは高さのあるスピン・トリックを見せたが、残念ながら決勝進出はならなかった。ただひとり決勝に進んだ中井は、驚異のアッパーデッキ、サトゥー900をメイクしたが、今一歩表彰台に届かず、5位に入賞するにとどまった。

ジャパンチームのメダル獲得はならなかったが、前回の長野オリンピックに比べると、世界との差はまったくなく、3人とも自分のスタイルを十分に世界にアピールしてくれたオリンピックであったし、次の4年後に十分期待を持たせてくれる結果であった。

ダイキは、オリンピック直後にこんなことを話してくれた。オリンピックは自分にとっていい経験だったし、日がたつにつれて、「また出たい!!」と思うようになった。あんなたくさんの観客の中でまたすべりたいですね。それも真駒内の仲間、中井、フミオ(ダイキの弟の史行)、カズ(國母和宏)達と、4年後のトリノ(イタリア)のオリンピックに、出られたら最高だと思います。できれば仲間と表彰台の真ん中を争いたいし、正直に言って、自分は真ん中がいい。仲間だといっても負けるのは悔しいから」と。しかし、4年後のトリノ・オリンピックには、ダイキの姿はそこにはなかった。中井、カズ、弟の史行の真駒内の仲間が、大輔のリベンジを果たすかのように立っていた。

オリンピック出場をあきらめなかったダイキは、さらに4年後のバンクーバー・オリンピックの大舞台に、再びその勇姿を見せた。そこには、カズ、同じ真駒内の仲間のコウヘイ(工藤洸平)の姿もあった。

ダイキは、以前こんなことを言っている。「中井やカズ、フミオとかと、いつもいっしょにすべっていられるから楽しい。この三人がいなかったら、俺はあんまりうまくならなかったと思うし、それにトーサンとか真駒内の大先輩達がいろいろ面倒見てくれて、本当に真駒内スキー場はいい環境だと思います」。

真駒内スキー場の大先輩で、残念ながら長野オリンピックに出場できなかったが、その夢を真駒内の後輩に託した前ナショナルチームの綿谷ヘッドコーチ(ソルトレイクからバンクーバーまで歴任)は、「いつも思い出すのは、ダイキはパイプでは親父さんが一緒だったということ。専門のクラブなんて無いから、ゲレンデに行くには子供一人じゃ結構大変だったはずです。でも、親父さんはダイキを連れて毎週山に来ていました。

現在のダイキの成長は本人の努力があってこそだけど、その中に親父さん、そして陰ながら応援していた母親の存在はとても大きいと思います。すばらしい家族のバックアップがあるので、ダイキに恐いものは無いはずです」という言葉が、今でも思い出される。ダイキの親父に限らず、大人から子供まで、真駒内の仲間たちは、みんなひとつになって、日本のスノーボード界を牽引してきたと言っていいだろう。

そして、ダイキの「表彰台の真ん中に立つ夢」を、後輩の平野歩夢が具現化してくれた。侍ジャパンの進化は、まだまだ止まることはない!

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